自分のつぶやきのメモ
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あなたのお気に召すがままに
全てのことを諦めよう
けれど全てを諦めた私を
あなたはきっとお気に召さないでしょう
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稀少なものは貴重である。
だから大切に重大に慎重に扱う。
多いものは当たり前の存在で
そのもの自体に気付かない時すらある。
多くの幸に包まれて生きている時、
珍しく不幸を手にしたならば、
その貴重な不幸はあまりにもあなたの中で大切で重大で慎重に扱われ
押しつぶされるほどに嘆き苦しみ絶望するかもしれない。
見渡せば多くの幸が取り巻いていることに気付かずに。
多くの不幸にとらわれて生きている時、
珍しく幸を手にしたならば、
その貴重な幸はあまりにもあなたの中で大切で重大で慎重に扱われ
溢れんばかりの喜びと希望に感謝するかもしれない。
見渡せば多くの不幸が取り巻いていることを忘れて。
さて どちらが 幸せなことだろうか。
結局私たちは比較することしかできない。
より良い方を幸として捉え、
より悪い方を不幸として捉えることしかできない。
自分が第三者から見て
ありとあらゆる幸福に取り囲まれて暮らしていても
自分にとってその幸福の中でより悪い方は不幸であるのだ。
そういう意味でこの世には幸も不幸も無い。
自分が不幸と思わなければそれは不幸ではないのだ。
けれど人生から不幸がなくなることはない。
私たちは不幸を愛している。
何故なら不幸こそがいずれ新たな幸福をもたらす存在だからだ。
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