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北京オリンピック
昨日(もう一昨日ですが)作業の休憩がてら開会式を(終盤30分くらい?)観て、
今さっき晩御飯がてらに水泳の予選を5〜6試合くらい観てました。
開会式でも予選の試合ひとつでも観ていて感動してしまうのは歳を取ったからなのか(笑)
オリンピックはスポーツという分野における国家間の戦いの場だけど
それはコミュニケーションとも同義で。
国際大会で心に抱くのはナショナリズムというか
それは変な意味ではなくて、家族を応援しているようなもの。
彼らは、もちろん自分のためもあるけれど、
それ以外にいろんなものを背負って頑張っていて
そういうのを見て自分も頑張らなきゃって思う人もたくさんいると思うんですね。
それがこの平和の祭典であるオリンピックの開催意義でもあるんじゃないかなと。

この北京オリンピックは
開催地の政治的かつ物理的な状態含め、いろんな問題があって、
きっと裏で醜い世界情勢的なものも渦巻いているのかもしれない。
開会と同時に東欧で開戦があって(開会式放映終了直後にそのニュースが流れて、正直これにはひどく失望しましたが)、
この世を憂う人にとって、このオリンピックはもはや大いなる愚行の隠れ蓑という存在になってしまっているかもしれないけれど、
この大会はバーチャルではない。
今まで頑張ってきた人達が、今まさに頑張っているんだ。
それはうわべのきれいごとか?この感動は無意味か?
そんなことはない。
オリンピックを中止すること・棄権することで
国際情勢に訴える方法もあるけれど
大会の意義に乗っ取り、敢行することもまた世界に訴える方法だと思う。
確かに何かの惨事が起こってからでは遅いのだけど
中国だって何事もないようにできるだけ頑張っていると思う。(多分)
現地でのアレコレを心配していることはわかるし私も心配ではあるけれど
それらの危険の可能性をおしてまで選手が参加をしているのは
心配を上回る期待や希望に応えてくれているからだというのは美談過ぎますか。

正直なところ、オリンピックには今の日本社会に足りないものを知る機会がたくさん詰め込まれている気がします。
「自分にできることで、自分のベストを尽くすこと。」
「プレッシャーを背負いながら他者と戦うこと。」
「あきらめないこと。」
「勝っても、負けても、相手を尊敬すること。」
今の日本はそれらを「しなくてもいい」と公言してしまっているけれど
しなくてもいいことはしないのが人間だ。
しなくてもいいわけじゃない。
しすぎなくてもいいだけだということをわからないのかな。
低すぎるハードルで満足のいく達成感や優越感は得られるとは思えない。
そうして何にも満足感ややり甲斐が感じられず、目標や目的を見失ってしまう人が多いんじゃないだろうか。

私はオリンピック選手ではないので
実際の選手の方々がどういう思いで参加しているのかはわからないけれど
試合中は日本頑張れ!って応援するし、
何かしらの賞に入れば嬉しいし、
賞に入らなくてもよくやった、頑張ったねと思う。
そして私も頑張ろうって思う。

他の誰もが今回のオリンピックを無意味な祭典と思っていても
私にとってはとても意味がある。それだけで充分。
だから、北京オリンピックの失敗を心配するよりも成功を祈ろうと思う。
頑張れ日本。
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